僕たちの現実を認識するやりかたをちょっと疑ってみよう。
イマジネーションを使って、違う現実の見方を試みてみよう。
ヤキ族のシャーマン、ドン・ファンに倣って、 僕たちの見ている世界を「止めて」みよう。  

人類は今、岐路に立っている。
気候変動 放射能汚染 自然破壊 化学物質汚染 プラスチック 種の絶滅 遺伝子改変 資源枯渇 食糧不足 貧困格差 戦争 核兵器…
今の経済システム、大量消費の技術文明を続けていけば 数十年以内に人類の存続は危うくなる。 これが国連環境計画などに関わる科学者たちの出した結論だ。 まあ科学者じゃなくたって、モンダイを多々抱えた人類の未来は かなりヤバイことは、なんとなくわかる。

-そんなことはわかっているけど、だから どうしろというんだ、 文明の進歩を止めることなんてできない、しかるべき人がしかるべき形で なんとかしてくれるだろうそんな大きなこと僕らがかんがえてもしょうがな いよ 石油ショックの時だってY2Kの時だってあんなに騒いだのに結局何にもな かったじゃないか それにほら僕だって日々まじめに生きてるじゃないかそれで何がいけないん だい? 人類はそんなに長く続かないかもしれないけど、僕らはたかだか数十年の人 生、 他人に迷惑かけずにハッピーにまっとうできればとりあえずいいじゃない か。 だいたい人類の存在自体が地球に迷惑かけてるんだ、 自業自得で滅びるならそれはそれで仕方ないんじゃないか。

そんなことはない、そんなつまらない終わり方をするために 生命はこの惑星で40億年もかけて営々と進化してきたのではない。 いいか人類が地球上でもっとも複雑に知能を進化させた存在であって 食物連鎖の頂点に立っているということは、 人類の生存を支えている他のすべての生命に感謝をし 生態系におけるその地位に応じた応分の責任を果たさなければならない、 そしてこの惑星における生命のさらなる可能性を追求しなければならない、 そういうことなんだ。

でもさ、そんな風にマジになってみたっ て、 僕一人がゴミを減らしてエコな生活をしても 他の人の生き方に口出しはできないし 影響は微々たるもの、結局何も変えられない そんな夢みたいなこと言っててもどうにもならないんだよ

それは「現実主義」という名のニヒリズム、人間理性にしかけられた大きな罠だ。 もちろんそう考えることもできる。 でも、たとえばこう考えることもできる。 すべての山川草木にはスピリット・精霊が宿っている そして僕らはいつも祖先に守られているし、未来の世代に責任を負っている。 僕らの祖先は何万年にも渡ってそう考えて生きてきた。 今はほんとうに危機の時代、正念場であることは確かで、 地球を傷つけることで人類という種の存続自体が危うくなっているから、 「虹の戦士」というアメリカインディアンの物語にあるように 人類がすべてと調和した生き方に着地するために 精霊たちの存在にもう一度目を向けて、それぞれの持ち場で力をつくす者たちが 世界のあちこちに現れている レイヴというムーヴメントも、エコロジーも先住民族の文化復興も平和運動も すべてそういう「虹の戦士」の懸命のはたらきだ 資本主義のシステムと技術至上主義に乗っかった旧勢力の力はまだまだ強いけれど いたるところで崩壊しつつあるのが誰の目にも明らかになってきた そして、虹の戦士たちはつながりあっていく 実生活やインターネット上で 必然的に彼らは出会うべく人に出会うようになっているし そのことでたがいにより力を増していく そう、「人類サバイバルプロジェクト」が進行しているのだ(名前は何でもいい、意味はない)。 誰が言い出したわけでもない、自然発生的に世界のそこここで始まり 既存の社会システムやメディアの網とは別のところで 静かに、しかし急速に形成されていく「つながり」の環、力。 それは、他の生命をさしおいて人類だけが生き残ろうという自己中心的なエゴではない、 だいいちそんなことは不可能だ。 40億年かけて発展してきたこの惑星の生命系の一員であり 進化のフロントランナー(先頭走者)であるという自覚を、 つい1000年ほど前に忘れ去って暴走してしまったホモ・サピエンスが もういちど生命の環に戻れるかどうかの最後のチャンスなのだ ここで戻れなければ陸上哺乳類の進化の系は失敗に終わったことになる そういえば6500万年前には陸上爬虫類の進化の試みが なんと巨大隕石の落下によって失敗に終わってしまったこともあったな 地球の生命系に残された時間はあとたかだか10億年 やがて太陽の寿命がつきてしまうから ホモ・サピエンスが自らの作り出したものによって滅びた場合 その後代わりにたとえばイルカなどの水中哺乳類がどこまで進化できるものなのか・・・ とにかく、知能を発達させ「自我意識」を持ち言語活動など高度なコミュニケーションをおこなう ヒトという動物は、 現在食物連鎖のトップに位置し他の動物に捕食されることがないことでわかるように 他のすべての生命によって支えられて今ここにある。 生命進化のフロントランナーであることは事実だが だからといって今のようにおごり高ぶり他の生命を抑圧するのは (驚くほど多くのの生物種が絶滅の危機に瀕している!) 生命進化の摂理に対して失礼なだけでなく自らの首を締めることにもなる むしろ生命系全体に感謝し、フロントランナーとしての責任を果たしお返しをしなければならないのだ それは、この地球における生命という奇跡のようなプロジェクトの可能性を最大限に開花させること すべての生命との調和のうちにさらなる高次の調和をめざすこと その中で、それぞれが自分のポジションを十全にまっとうし美しいいのちの輝きを楽しむこと それらが交響曲のように美しいハーモニーを奏でるように。 虹の戦士たちはそのために手を携えて戦う。 人類が地球を滅ぼすんじゃない、そんな力はないのだ 地球が人類を必要としなくなる前に方向転換をしようという最後のサバイバル計画なのだ だって、こんなにもバカな人類がいとおしくて仕方ないじゃないか それぞれのいのちは夜空の星のようなもの、 目を閉じてその輝きが地球をおおっているさまをイメージしてみよう その中で人間の魂はひときわ大きな塊として青白く輝いている その光の玉が呼びかけあい、つながりあっていくさまをイメージしてみよう You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one. まだ何が起ころうとしているのか気づいていない魂もたくさんあるし そのつながりを断ち切って猜疑と張り合いと欲望と煩悩と敵対心と孤独と破壊衝動のメカニズムに 引きずり込もうとする魂も多いけれども そちらの道は行き止まりだ、だからそれに負けてはいけない 「人類サバイバルプロジェクト」の存在をイメージすることがだいじなんだ これが実現するかどうか、インターネットを介して出現しつつある 人類の集合意識の力が試されているのだ それは理屈ではない、意思とリアリティーの問題だ だれが仕組んだわけでもないこのプロジェクトの存在にリアリティーを抱けない人は多いかもしれない それは、人々のイマジネーションの中に存在することができるプロジェクトだから。 その必要性を自分の存在全体で、からだ全体で実感できないのは ヒトという生き物としてちょっとさびしいことだと思う この人間世界は大きく3つに分けられる 主に先進国で、現在の資本制システムに(無意識的にでも)加担している人たちの世界。 そして主に「発展途上」国で、資本制に否応なく組み込まれ搾取され貧困や飢餓や暴力にあえぐ人たちの世界。 そしてこの2つの世界の外にあって一方的に搾取されまくっているのが他の生命たち、「自然界」だ。 3つめの人間世界は、そうした第一・第二の世界の中から自らの力で身を引き離し、 そのありように疑問を抱き、互いに搾取したり抑圧したりしない世界をつくりあげようとしつつ 自然界との調和をとりもどそうとする人たちの世界だ。 この「第三の世界」への参加者を増やしていくのが人類サバイバル計画なのだ。 そんな風に考える人は1960年代以降着実に増えている でも、そういう生き方を今の日本の「第一の世界」の只中で貫くことは大変難しい 経済に依存しないで生きていくことは不可能だし、 原発の電気を使わずに暮らすこともできない。 お金を稼ぐためには第一の世界と折り合いをつけて、 「プロジェクト」の存在など生まれてこのかたイメージしたことのない人たちと うまくやっていかなければならない それは第三の世界に足をつっこんだ者にとってはちとつらいことだ でも第三の世界の人とだけつきあっていたのでは 第一の世界の只中で生存の維持が難しいしプロジェクト自体が十分に推進されない

そこで、ダブル・リアリティーということをかんがえてみたい。 私たちの祖先や世界各地の先住民たちが長い間そうしてきたように すべての山川草木、岩や石にもスピリット・精霊が宿っていることを感じ、 祖先から受け継いできたこの「道」を未来の世代へとつないでいくために、 ここで述べてきたような人類サバイバルプロジェクトの存在を前提に 自らの役割をきちんとまっとうしスピリチュアルに生きていこうとするリアリティーAと、

そんな「ニューエイジ」っぽいのはちょっと抵抗がある し、 「スピリットの存在」も確信できないし それはひとつの「物語」にすぎないと考えて 近代合理主義的な視点から 現に進行している経済社会のダイナミズムを冷静に見つめ 賃労働をこなし新聞を読み選挙に行き もちろん環境問題などにも現実的な問題意識を抱きながら 現実社会の動きにきっちりコミットして生きていくリアリティーB

その両方を同時に生きるのだ 第三の世界の住人は多かれ少なかれ自然に(無意識に)やっていることなのだ 自分の中のリアリティーAの存在が、Bモードで接する第一の世界の人々にも影響を与えるし、 Bモードをきちっと生きることが、リアリティーAの中で実感できる人類サバイバルプロジェクトを 実際に進めることにつながるだろう。 Aモードだけで生きることは(それがふさわしい人もいるが)よほど強い人でない限りは現実の生きにくさから逃避につながる場合があるし、 Bモードだけで生きることは利己主義的ニヒリズムにつながり、空しさと孤独を引き起こしプロジェクトの進行にも支障をきたす この転換期にあっては、AとB両方のリアリティーを生きるのがよいのだ そして「人類サバイバルプロジェクト」は今まさに現実に進行しつつあるリアルな最後のプロジェクトであると同時に、それはイマジネーショ ンの中のひとつの「物語」に過ぎないとも言える。 僕がAモードにおいてそのプロジェクトをイメージし、意識をそこに向け、 そのプロジェクトに同時代に参加している多くの人々を想うときそれは実際に存在する。 職場で実務をこなしているBモードの時には、 プロジェクトのことはひとつの理想主義的な「おはなし」として心の片隅にしまってあって、 第一の世界に生きる多くの人々のリアリティーに自分をチューニングさせ かれらのリアリティーや想いがどうやったら自分の中のリアリティーAと接点を持ち どうやったらやがて彼らもプロジェクトに参加してくれるかどうかを冷静に探り続ける。 AとBは「切り替える」ものではなく、互いに矛盾することなくコインの両面のように「同時に生きる」ものなのだ。 2つのリアリティーを同時に生きることは、 実は世界各地のシャーマンとよばれる人々がおこなってきたことだ。 彼らは「現実の」世界と、精霊(スピリット)たちの住む世界を自在に行き来し、 2つのリアリティーを同時に生きる。 2つの世界のロジックは時に相容れないこともあるが、 シャーマンにとって2つの世界は同様に「リアル」なものであり、 それぞれの世界は他方の世界の反映であり投影なのだ。 それは別の世界だから同じモノサシでは図れないが どちらもおろそかにしてはいけないし、 一方の世界でのふるまいは他方の世界に大きく影響を与える。 そんな、ダブルリアリティーの生き方を 絶妙なバランスでやっていくことが 21世紀には必要なのかもしれない。  

カテゴリー: 人類サバイバル

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