1999年頃、僕は「未来部族」というサイトをつくった。「宇宙の中にいる人間とは何者だろう」という子どもの頃からの疑問や、環境破壊や戦争など社会の矛盾への意識があり、さらに90年代からのダンス・ムーブメントで「踊る」ことの本質に触れたことで、自分の中でいろんなことがつながっていった。それをまとめたサイトだった。

 農耕文明の延長にある産業文明が終わりつつあり、未来の社会はふたたび狩猟採集に近い性格のものになっていくのではという予感があった。モノの豊かさを追うのをやめ、資本主義貨幣経済から互酬・贈与経済へ、競争から共生へ、合理主義的な思考から自然界のスピリットを感じるアニミズム的感性へ、そして中央集権的な政治社会システムから分散型のネットワーク社会へ・・・そんなイメージの、どこか懐かしい未来。世界のあちこちで大地を踏みしめて踊り始めた若者たちは、その先駆けだと思えた。

 しかし、その後911やイラク戦争が起き、グローバル資本主義の手強さを実感させられる。「未来部族」の頃に抱いたイメージは誤りではなかったけれど、ダンス・ムーブメントやカウンターカルチャーもしょせんはグローバル資本主義というお釈迦様の手のひらの上で踊っていたに過ぎなかったのだ。そして、貧困や戦争をもたらす現実の資本主義のしくみに向き合い、地域通貨やパーマカルチャーや平和学など「実際にできること」を学ぶ方にシフト。想像界の探索は休止してサイトもクローズした。

 そして311が起き、日本では脱原発ムーブメントが拡大。さらに放射能への不安やシステム社会への違和感から、自然と調和した持続可能な暮らしを選ぶ20~30代の若者たちが目立ちはじめた。「懐かしい未来」の方向へと社会の深層は大きく動き始めたが、いっぽうで既存の社会システムを死守しようとする人たちの巻き返しはさらに激烈だった。特に自民党政権の成立後、ナショナリズムへの誘導をはじめ、この社会の中枢にいる人達は20世紀的な不自由な価値観に人々を閉じ込め、古い夢を蘇らせようと躍起になっている。経済の破綻や戦争、ファシズムなど、ダークな方向へと押しやる大きな力が働き、それに惑わされる人たちがいる。

 そんななかで、ふたたび「文化」の大切さを思うようになった。社会をどうするかを実際的に考えるだけでなく、そのベースとなる文化を紡ぎだし、想像界に働きかけること。人はパンなしで生きられないが、パンのみで生きるのでもない。生きる歓びとか、未来へのビジョンとか、そういうものを実感させてくれたのは経済や社会のシステムではない。その目に見えない大切なことの存在をリマインドするためにも、中断させていた「未来部族」を再開させようと思ったのだ。(ココペリ記)