漢字伝来以前の「神代文字」(ないし「ヲシテ」)で書かれたという「ホツマツタエ」について、いろんなところで耳にしてきた。象形文字っぽい、その字体も見たことがある。縄文時代に使われていた、縄文文字だという人もいる。僕としては、疑わしいなあとも思いつつ、よくわからないので判断を保留してきた。(偽書だとも言われているけど、知り合いの中には信じている人たちもいたりする。その人たちには共感されないかもしれないけれど、僕なりに考えたことを書きます)

今日、思い立っていろいろ検索してみて驚いた。なんとホツマツタエは「アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)、そして初代人皇のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のヲシロワケ(景行天皇)の56年までを記述して」おり、「記紀の「原書」」だというではないか。なーんだ。ガクっ。

考古学やDNA研究の結果から日本人の起源がわかってきている。日本列島では数万年前に大陸や樺太からやってきた先住の民が縄文文化を花開かせ、その後、今から3000年前以降、大陸から稲作文化を持った人々が渡来して弥生文化を花開かせた。天皇家の祖先であるヤマト王権も、その後やってきた渡来系の人たちの一派だった。
渡来系の一勢力だったヤマト王権の正統性を主張するためにつくられた記紀(古事記・日本書紀)と同じ内容が、彼らが渡来してくる以前の先住の民である縄文人によって書き残されているなど、全くありえないことだ。
Wikipediaによれば、「神代文字」の文献は最古のものでも江戸時代の「写本」なのだという。それ以前の資料は発見されていないのだ。Wikipediaにあるように、やはり「神代文字」は、江戸時代の神道家が天皇家の正統性をさらに古代にまで遡らせるために創作したものなのだろう。
狩猟採集(と一部、単純な農耕)を基本とし国家も貨幣も持たなかった先住民の縄文人たちは、北山耕平さんの言うように「日本列島のインディアン」だったのだと思う。
アジアからベーリング陸橋を渡った北米のインディアンの諸部族は、コロンブスが来る15世紀までその生活様式や精神文化を保持していたが、日本列島のインディアンである縄文の諸部族は、今から3000年前に朝鮮半島や華南(今の中国南部)から武器を携えて来た農耕の民に圧倒され、征服されたり山間に追いやられたり融合されたりして、その生活様式や精神文化を変えられてしまった。そこに後に神道や天皇制が浸透させられていったのだ。
北米インディアンが狩猟採集(と一部、単純な農耕)を基本とし国家も貨幣も文字も持たなかったように、日本列島の縄文インディアンたちも、文字を持っていなかった(なにしろ現に出土していないので。)と思う。文字を持ち歴史を記述することは、農耕に伴う権力の発生と国家の成立、武器や戦争の始まりと連動したプロセスだ。北米インディアンを見ればわかるように先住民の社会は基本的に文字を使わない口承の文化。農耕が始まり権力が生じると歴史を記録しようという欲求が生まれる。古事記や日本書記、さらにはホツマツタエが王権の正統性を記したものであるのも偶然ではない。漢字は3世紀頃に日本列島に伝来したといわれるが、それも、つまりは漢字を使う人たちが中国大陸や朝鮮半島から来た、ということなのだろう。

謎めいた古代の文字にロマンを感じたい気持ちはわかるけれど、それが事実であるかのように広まって、変なナショナリズムにつながるのは困ったことだと思う。

ホツマツタエについて(Wikipedia)

カテゴリー: よりどころ問題

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