僕らが身も心も解き放たれ、ヒトという種の一員として他の生命とともにこの地上にあることのよろこ びを不特定多数で実感し共有できる機会がどれだけあるだろうか。

 カラオケ?解放というより(ストレスの)解消という感じ。自己満足・自己陶酔的でもある。
 セックス?自己満足の場合もあるけれど、いいセックスはすばらしく解放されるし、他者とともにある悦 びもある。でも、相手が特定の一人だけなんだよな。対幻想。
 宗教?バリ・ヒンズーなどいくつかの宗教では集団的エクスタシーが生じる。しかし大抵の場合は自然へ の関心は薄いし、何より信者だけの閉鎖的な集団である。信者同士はハッピーでも、教団の外に対しては無関心ないし防衛意識が働きが ち。
 コンサートの熱狂?だれもがミュージシャンの方を向いていて、参加者同士で悦びあう感じがない。

 レイヴに近い体験を与えてくれるものといえば、伝統的なお祭りかもしれない。阿波踊りやよさこい踊 りなどテレビで見ていても楽しそうだ。でも多くの祭りは高齢化と形骸化が進んでいて、熱狂には程遠かったりしきたりを重んじすぎてい て楽しめなかったりする。若者が多い祭りでもヤンキーに支えられている場合が多い。ヤンキーの踊りは、やたら腕を動かす大仰で様式的 なフリを、みんなで揃ってやるという特徴がある(一昔前の「パラパラ」を思い出そう)。純粋快楽の共有というより、同調圧力が強く、 仲間意識を確認するための踊りという感じがする。

 考えてみれば、祭りとは神を祀る場であると同時に間つりであり、人々の間を取り払うものだったの だ。リズムを共有し、集団的熱狂=エクスタシーの中で人と人の間の垣根を取り払い、自然や宇宙への崇高な思いさえ抱かせてくれるレイ ヴは、そういう意味で現代の「まつり」なのだろう。 生きる喜びにはいろいろある けれど、「つながる」ことの歓びはとても大きい。他のヒトたちとつながる、他の生命とつながる、自然・大地・ 宇宙とつながる。今の社会で、見ず知らずの人達とそのような時間を共有できる場はなかなかない。
 DJもオーガナイザーも参加者もそういうことをわかっていて、だれもがラヴ&ピース に溢れたいいパー ティーにしようと思って敬虔かつ前向きな気持ちで集まる時、奇跡のようにすばらしいパーティーが生まれる。そこで力を与えあって、ま た日常に戻る。
 そしてそういうことは、たぶん縄文の昔からこのクニでは行われてきたことなのだ。