「踊る」という行為が、現代社会でよみがえりつつある。その最たるもの が、90年代から盛り上がったダンスミュージックやレイヴパーティーのシーンだ。
 レイヴパーティーとは、野外のキャンプ場などでトランスとよばれるテクノミュージックを大音量でかけ、一晩中踊り明かすイベン ト。レイヴ(rave)とはもともと「うわごとを言う、荒れ狂う」(三省堂「新コンサイス英和辞典」)という意味。80年代の終 わりにイギリスで起きたアシッド・ ハウスの野外パーティーのムーヴメントに端を発し、ヨーロッパ各国やアメリカなどの先進諸国、そしてインドのゴアや地中海のイビザ島など伝統的なヒッピー の楽園にも飛び火していった。日本では96年頃から本格 的な盛り上がりをみせ、「レインボー2000」をはじめとする大規模な野外レイヴも行なわれるようになった。レイヴの場では、同 じリズムを共有しながら、集団で踊りという原初的な快楽に身をゆだねる。踊り方はまさに好き勝手。誰もが、一番気持ちいい状態、 一番 「ハマれる」状態にどっぷりと漬かるのだ。

 ヒトは太古から、集団で踊るという行為を続けてきた。幕末に 広がった「ええじゃないか」や、鎌倉時代に流行した「踊り念仏」、アメリカでは1969年のウッドストック・フェスティバル。時代時 代に形を変えて「踊る記憶」は受け継がれ てきたとも言える。昨今のレイヴやダンスシーンの盛り上がりは、その再来とも言える。それ は、ヒトという種が 秘めている内的な衝動・エネルギーのある種の噴出なのかもしれない。そして、うたもリズムも、 踊りとともにあった。現在の世界各地の先住民族たちもそれぞれに自分達の踊りとうたとリズムを持っている。文字を持たないヒトはいても、踊りと音楽を持た ない民族はないといっていいだろう。そして彼等にとって踊りと音楽は、共同体を維持し、ヒトを自然や宇宙と結び つける重要なメディア(媒介)なのである。たとえば、西アフリカのマリ共和国の踊りについて、ミニアンカ族の音楽家は次のように述べ る。

「私たちの音楽家は、人間と自然と霊的な 世界の共同体の全体に幸福をもたらすため に演奏する。」
「ミニアンカの言葉でホロと呼ばれるダンスは、音楽 と同じように、単に美的な表現で はないと考えられている。踊り手は音楽の音の力によって、共同体的で宇宙的な、現実の別の段階に足を踏み入れるのである。・・・ それはあたかも共同体で行なわれる予防的な療法のようで、人生がすばらしく思えたりするのである。共同体全体で踊る ということは 決して些細なことではなく、実は大層なことであり、それは偉大な調和の手段なのである。」
(ヤヤ・ジャロ+ミッチェル・ホール 「アフリカの智慧、癒しの音 ヒーリング・ドラ ム」柳田知子訳、春秋社)
 
 ここには、人類の原初的な営みである「踊る」という行為の意味合 いが的確に語られてい る。心臓の鼓動を思わせるリズムに身を委ね、仲間たちとともに身体をゆする。素足で大地を踏み、飛び跳ねる。嬌声をあげる。笑う。そ してその光景は面白いことに、コンピュータで生み出された音楽が鳴り響く先進国のレイヴのありさまと驚く程似通っているのだ。
 思えば近代人はこういう快楽的な踊りをこれまで長い間、自らに禁 じてきた。というか、 「気持ちいいこと」そのものを罪悪視してきたフシがある。しかし近代的なシステムのほころびが誰の目にも明らかになりはじめた今、「気持ちいい」ことを徹 底的に追求する若者たちが大量に発生しはじめたというわけだ。

 僕にとってこれまでで最良のレイヴは、98年7月に岐阜で行われた、イ クイノックスというオーガナイザーによるパーティーだ。湖のほとりのキャンプ場を借り切って、3日間にわたって開かれた。みんな テントやバンガローに思い思いに陣取り、気が向いたら踊りの輪に加わる。手作りアクセサリーや食べ物の店もいろいろあったし、 外国人もたくさんいた。
 いいレイヴでは、参加者の身体がシンクロし、気持ちがひとつにな る。この岐阜のパーティーで僕は心底生まれてきてよかったと思ったし、今生で一度きりのこの場に居あわせることができたことを感 謝した。そこにいるすべての人が、生えている草木が、飛んでいるすべての鳥がいとおしく思えた。土埃と汗にまみれて踊っていた参 加者のだれもが笑顔に輝き、だれもがとてつもなく優しかった。これこそがヒトという動物の本来の姿だと思えた。すべてがリアル だった。感動のあまり涙が出てきた。
 この岐阜のパーティーではいろんなことを感じ、考えた。そこには なぜか懐かしさが感じられた。時空を越えた既視感とでもいうべきだろうか、「こうして皆で身体全体でリズムを感じて踊るというこ とを、僕たちの祖先は営々と 行ってきたのではないか・・・」という気がしてしかたがなかったのだ。森林を出て直立歩行を始めアフリカの大地を踏みしめたヒトの祖 先がその生の喜びを身体全体で表した時、そこに踊りが生まれたのではなかったか。石器時代から縄文時代へと何万年にもわたって受 け継 がれてきた遺伝子レベルの「踊る記憶」が、しばしの中断を経て再び呼び覚まされた・・・そんな思いを抱かずにはいられなかった。

 現存する 世界中の民族舞踊をみると、狩猟採集民と農耕民ではそのスタイルに傾向の違いがみられる。農耕の民が大地から足を離さずに静かに動く 水平的な踊り方をする(能や日本舞踊の摺り足などその典型)ことが多いのに比べ、狩猟採集民では大地から跳びあがる垂直的な動き が多い。生業のスタイルとしてはもちろん狩猟採集の方が古いのであって、政治・宗教権力や経済システムの発生も農耕が行なわれて からの話である。おおざっぱに言って、農耕の開始とともに社会システムの高度化がはじまり、それと同時に原初的な踊りも徐々に変 貌し様式化し ていったのではないだろうか。だとすると、日本列島でも数千年前の縄文時代までは原初の踊りの営みが日常的に行なわれていたのかもしれない。縄文遺跡から は、有孔鍔付土器という、太鼓とも思しき土器が見つかっている。

 今後、ヒトはますます「踊ること」に目覚めていくのだろうか。理屈では なく、そういう 身体的な次元から世の中が変わっていったらすばらしいと思う。ブルース・リーの映画にもあったではないか。「考えるな、感じるんだ。」